2011年5月 台湾セミナー 質疑応答 その⑨
【質問⑮】
よく昔から聖者たちとかが、アジュナチャクラは、『上の丹田』と言われていて、アジュナチャクラに集中すると、高血圧に
なったり、いろんな体の不調になったりすることがある、、と聞いたことがあります。あと、第3の目(アジュナチャクラ)を
開くことで、特別な能力を得る人がいる、、とのことですが、先生はこのことについてどう思いますか?
【上江洲氏】
もしね、アジュナチャクラに集中して高血圧になってみたり、その病気を呼び込むというのはなら、それは正しく
明想していません。わたしはアジュナチャクラに集中して見い出した明想は、わたしだけが勝手にそう説いているんではなく
イエスキリストや、わたしの意識に映ってきたその聖人の方々、、全ての方々と語りあいながら確認の上で、わたしは
全世界に広めています、自信持って私は言えます。もし明想して病気を呼び込むというならば、その明想は誤っています。
〔アジュナチャクラに集中したら能力が得られるのか、、という質問に対して・・・〕
けっしてそんな事はありません。もし心にひずみ、ゆがみがあるからこそ、そういう現象が現れる事であって絶対神へと、、
絶対愛へ、、と集中しているならば、そんな事はあり得ません。もし絶対なる神へと、愛へと明想しながら、その能力が
出る、というならば、その能力が害にはならず、神が世のため人のために使え、、というその状態の現れです。だから
聖者方は『即、明想せよ・・』と、教え説いたものはいない。 なぜならば、心にゆがみ、ひずみを持ちながら明想するって
ことは、危険を伴うって事を知ってるから。わたしは何十年もまず心を美しく磨きあげてから明想というものを説いて
きました。だからアジュナチャクラに集中して、もし病を引きこんだ、、またさまざまな能力におぼれて、、というならば、
その人そのものの心のあり方に、そういう状態のひずみが、どこかにあります。磨きあげた美しい心で明想が誤るはずが
ありません。
【質問者】
どうしてわたしが、この質問をしたかというと、さきほど周りのみなさんの様子を見ていたら、アジュナチャクラに
集中しすぎて、だんだんアゴが上にあがってきてるような感じだったので、少し心配になったからです。
【上江洲氏】
あなたが心配することではありません。 あなたはあなた自身のことを心配していればいい。
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【質問⑯】
中国語では『初めての悟り』という言葉がありますが、昨日の彼女(先生に霊流を流されて、自分は肉体ではなかった、、と
実感した女性)の状態、体験が、それだったんですか?
【上江洲氏】
彼女がね、昨日の境地でこの肉体を自在に使って、この世を生きれるならば、それは悟りです。 しかしまだ昨日の
体験から醒めて、まだ人間(意識)に戻る、、、まだ自分が肉体だという錯覚が起こるならば、それはのぞき見です。
で、わたしが様々な明想を見てきて、一番怖いのはね、のぞき見しただけで『私は悟った・・』という傲慢になっていく
方々をいっぱい見てきました。日本でも今もいっぱいいます。悟りとは、どこにいてもどこに行こうとも、いる場所行く
場所で、常に神を迎え入れて、正しく美しく生きてること。神、我とした、その境地で生きていることを、悟りといいます。
で、わたしはまたね、、法玉の明想をするにあたっても、みなさんにアジュナチャクラに集中しながら法玉を描く(時に)、、
わたしは、『けっして無理せずに描いてください・・・無理しない範囲でやりなさい』 と、わたしは必ず付け加えています。
さまざまな間違った明想状態を見た全ての経験、体験からわたしは導いています。
【質問者】
先生が初めて神の意識に融合した後に、目が覚めても肉体意識にいるのではなく、いつも24時間神意識に入れる事が
どうやってできるようになったんですか?
【上江洲氏】
わたしもね、30何年の明想の中で、『今日はちょっといい明想ができたかな、』と、思えば、明日はドン底に落ちてみたり、
またそこからね立て直して、いい状態の明想の中に入ってみたり、、また落ちてみたり、、。それはただ平坦な道を
まっすぐトントン拍子でここに来てはおりません。けっして良い体験だけをしてここにいることではありません。
ちょっといい明想したかと思ったら、翌日はドン底を見てみたり、、でもそれをけっしてあきらめずに、ひたすら努力の
積み重ねで、『今』があること。
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☆ 上江洲義秀氏 カルガリー/バンフ 2011 ☆
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by pirka-kotan
| 2011-06-27 07:25
| 上江洲氏光話会 YYC/YBA 2011